東北庄内地方では荷物を背負うときの背中当てを「ばんどり」と呼びます。ばんどりには「丸ばんどり」「ねこばんどり」「しとばんどり」「羽根ばんどり」などあり、婚礼の時に嫁入り道具を運ぶために使われる「祝いばんどり」には色布や色糸が編み込まれ晴れの日を彩ります。嫁ぐ娘へと父親が何日もかけて作るそうです。晴れの場を彩る「祝いばんどり」は丁寧に編みこまれていて、素朴な美しさに魅了されます。2度目の羽黒山への旅の最後は致道博物館に行き、念願の「ばんどり」を見る事ができました。その量もさることながら、デザインの豊富さにも驚きました。
致道博物館のばんどり
撮影:関根みゆき
紐の美「ばんどりの背面美」
額田巌著「ひも」より
「東北庄内地方で用いられている「ばんどり」は、蓑の花形であり、ひも技法の逸品である。ばんとりは、おもに物資の運搬の肩あて、背中にあてに使われている。蓑の中では最も装飾性が強く、材料も稲ワラ、麦ワラ、がま、榲)、かえでなどの樹皮の他に、麻布や綿布を撚ったひもや色糸を編みこんで色彩感を出している。(中略) 背面美の中心である甲の「ひも」は荷物がずり落ちるのを防ぐためといわれるが、その装飾性には出羽三山の山岳密教に結びつく呪術的要素が強いと思われる。山仕事が多いことから、身に魔除けの縄を結び、結界をつくったものではないだろうか。」
山伏が山に入る時に身に付ける結び「しめ」も背中に紐を垂らすようにかけて結界とします。山と共に暮らす人々の民具としての「ばんどり」も、山伏がお山に入る際に必ず身に付ける「しめ」も、山と共に暮らすこの土地の風土から生まれた祈りの形だと感じます。
藁工芸 齋藤榮一さんの工房訪問
2017年11月。友人とばんどりを作っていらっしゃる齋藤さんの工房を訪ねることができました。
山形出身の知人が出羽庄内地域の文化情報誌「Cradle」を発行されている小林好雄さんを紹介して下さり、小林さんが私たちを車で斎藤さんのお宅へ連れて行ってくださいました。
工房ではばんどり以外にも様々なわら細工を見ることができました。
ばんどりはわら細工の集大成だといいます。
今はばんどり作る人はいない、とおっしゃりながらU字型の土台作りを見せてくださいました。
友人も挑戦。斎藤さん制作のばんどりも見せて頂きました。
ばんどりを作る際に使う藁は機械で刈ったものだと長さが足りないそうです。そのため齋藤さんはご自分の田んぼで取れた藁を使っています。大変な作業だと思いますが、齋藤さんは始終笑顔で楽しそうにお話して下さいました。手を使うことで脳が働くという繰り返しが暮らしの知恵となり、昔からの技を時代にそぐわないと切り捨てず大事にできることの豊かさがあることをしみじみと感じさせられたひと時でした。
旅の思い出
鶴岡について羽黒町手向にバスで向かい「大聖坊」の星野先達にお会いしました。「ランチは予約しておいたから」と地元のお野菜が美味しいレストラン「土遊農」に連れて行ってくださいました。
宿坊に戻って夕食までの間は羽黒修験の装束の資料を見せて頂いたり、山岳信仰と「産霊」についてお話したり、先達ならではの言葉に聞き入りました。夜は大聖坊の精進料理を頂いて宿泊。次の日は宿坊「大江坊」の大江さんにしめの結びを習うことができました。「結びのことはわからないから」と先達が事前に大江さんにお願いして下さっていたのです。大江さんの指導の下、私たちはしめの結びを何とか仕上げました。手書きで書かれた結びの図を見た時は、結びはこうやって各地で伝承されているのだな、と実感しました。
私たちが鶴岡を訪ねたのは11月半ば。羽黒修験の四季の峰のひとつで「百日行」とも称される「冬の峰」の時期と重なりました。二人の松聖(羽黒山伏の最高位)が9月24日より百日の行に入ります。最初の50日は自宅参籠といい奥座敷に結界をつくって興屋聖という小さな祠に五穀、稲籾など穀物を入れておき朝夕禊をしてただひたすら祈りを捧げるそうです。
「百日行」では11月13日から山上参籠となります。その日の朝、私たちは朝起きるとまず結びの「しめ」をつけて先達の祝詞でお祈りを捧げ外に出て松聖を迎える準備をしました。先達も大注連を付けて一行を待ちます。すると遠くからほら貝の音が聞こえてきて50日の行を終えた松聖の行列があらわれ、ご近所の宿坊の方々も皆「しめ」を付けて出迎えます。到着した松聖の方々は近くのお社に入り祈りを捧げました。この日から50日間は羽黒山の斎館(華蔵院)に籠ることになります。
この13日に私たちは斎館に泊ることができました。星野先達が予約して下さっていたのです。朝夕のお祈りは二人だけというとても有難い時間を過ごさせて頂きました。
修行者でもなくただただ結びのことを知りたくて出かけましたのに、次の日から東京というお忙しい中、星野先達は何から何までとても親身にお世話をして下さってなんとお礼を言ってよいか言葉になりませんでした。東京に戻ってすぐに大注連の結びに挑戦しました。数日かかりましたがなんとか完成。感謝の気持ちを込めて折形の礼法に従って大注連を包み、水引で結びを施して大聖坊に奉納させて頂いて、ようやく鶴岡の旅が無事に終わったような気持になりました。