祈りをむすぶ 正月の飾りと五節供の結び

日蔭蔓白糸結び あげまき結び・にな結び / 紐 制作:柏屋 江口裕之

第740回デザインギャラリー1953企画展 展示作品(写真:大友洋祐)

日蔭鬘白糸ひかげのかずらしらいと結び / 結び:総角あげまき結び・にな結び

 古代には朝廷の祭事に奉仕する人々は冠のこうがいの左右に日蔭鬘白糸ひかげのかずらしらいと結びを下げ、神に奉仕する者のしるしとしました。古くは植物のヒカゲノカズラをそのまま用いましたが、後に白糸、又は青糸を組んで作るようになります。
 上代、種々の植物を髪の飾りとしたものを「かずら」といいました。古墳時代には髪に髷華うずという木の葉や花を挿す髪飾りがあり、「ウズメ」とは「ウズ」(髪飾り)を挿した「メ」(巫女)だといわれます。また「挿頭花かざし」という髪飾りが「古事記」や「万葉集」に見えます。梅、桜、菖蒲などの花々や、柳、榊、松など緑の葉を髪に挿して飾るもので、装飾の意味の他に自然の生命力を身に付けようという祈念が含まれており、この風習は後世まで伝統として残っているといわれます。〈「日本の髪形と髪飾りの歴史」より〉
 植物のヒカゲノカズラが紐の結びに変わり、その後、組紐を結んで花を象る「花結び」へ受け継がれて、花や蝶、魚貝類などを象った結びが多く考案されたと考えることもできそうです。植物の生命力、さなぎから変容する昆虫の再生力、神聖なるにえとしての海の幸。自然の恵みと脅威を常に感じ、観察してきた人々の想いが結びの形に残されているように感じます。

1月7日 人日じんじつの節供「卯槌うづち」 / 結び:あわび結び・つゆ結び・総角あげまき結び・にな結び

 「卯槌うづち」について、「源氏物語の年中行事」に桃の木を長さ3寸の角材に作り面取りして中を貫き、5色の組緒を通し桃の下から紐を5尺出す、とあります。「卯槌」は平安時代、正月はじめの卯の日に年中の邪気をはらうため天皇に献上されました。人日の節供にちなむ邪気払いの具で、紐を長く垂らすという優雅な描写に惹かれ、どのような形なのかいろいろな文献を調べましたがなかなか見つかりませんでした。ようやく「古今要覧集」の中に5本どりの紐をあわび結びに結び、桃の木に通すという卯槌の絵を見つけ、この本に倣ってを制作を始めました。
 貞丈雑記 祝儀の部【卯杖の事】に中にも「卯槌」の記述があります。「又卯槌うづちと云う物あり。これは短き物なり。御帳に結び作る物なり。これも悪鬼を祓うまじないなり。」とあります。 
 本来卯槌うづちには日蔭蔓ひかげのかずら山橘やまたちばな山菅やますげなどの植物を飾りとしますが、ここでは数本の紐を日蔭蔓白糸ひかげのかずらしらいと結びにして草花の代わりとしました。

3月3日 上巳じょうしの節供
貝桶かいおけ」/ 結び:うろこ結び・蜻蛉とうぼう結び - 「檜扇ひおうぎ」/ 結び:にな結び・かのう結び

 「貝桶かいおけ」は貝合わせの貝を容れる道具で、江戸時代には婚礼の第一の調度でした。結びは左右対称に結んだ「うろこ結び」と雌雄を表す「蜻蛉とんぼう結び」です。伊勢貞丈いせさだたけの「包結図説ほうけつずせつ」には貝桶の結びが詳しくか描かれています。
 女雛が手に持つ「檜扇ひおうぎ」は杉や檜を紙のように薄く削った木簡もっかんの片方を綴じ合わせたことから生まれたといわれます。
本来檜扇の表と裏には行く末を寿ぐ吉祥図が描かれていますが、紐と結びを引き立てるため無地の扇を作って頂きました。六色の紐は2本どりで「にな結び」を結んでいますが、途中で隣の紐と絡ませながら結んでいくのが特徴です。

5月5日 端午たんごの節供薬玉くすだま」/ 結び:あわび結び・亀結び・猿のにぎこぶし・巻結び・縄編み

 「薬玉くすだま」は菖蒲や蓬など時節の薬草を五色の糸で長く結び垂らしたもので、陰暦五月五日に端午の節供に邪気を祓い不浄を避ける具として柱や御簾みすに掛けられました。
 結びの薬玉は五色の紐を「あわび結び」にし、花を挿す木枠にとおしてそのまま下へ垂らし土台としています。さつきの花弁は「亀結び」で、それを「らせん梅結び」でつなげて花にしています。菖蒲しょうぶの葉によもぎの葉を重ね、「巻結び」と「あわび結び」で作ったつぼみをあしらって、古書にある薬玉の絵を再現しました。京都に通い、西村望代子先生のご指導の下、数か月かかって完成しました。今は亡き先生の豊かな発想なくしてこの薬玉の再現は不可能でした。
 思い出深く、有難く、宝物のような作品です。

7月7日 七夕「五色の紐」/ 結び: あおい結び・菊綴きくとじじ結び・茗荷みょうが結び・にな結び・総角あげまき結び

 古来、日本にはお盆の前の七月七日の夜に、村の災厄を除くため水辺で機を織り神を迎えるという棚機津女たなばたつめの行事がありました。古代中国に於いては糸に針を通して裁縫の上達を祈る乞功奠きっこうでんという行事が唐代5世紀までに形成されたといわれます。星空の下で「功」を祈る祭りとしての七夕は古代から女性たちが中心の祭礼で、女性の針仕事や機織りの巧みさを祈る行事だったといわれます。(「七夕の紙衣と人形」石沢誠司著)
 五色の紐は陰陽五行の五色(青・赤・黄・白・黒〔紫〕)で、願い糸や短冊に使うことで邪気を祓う力が宿るとされています。古来の行事に倣い、結びを施した五色の紐に邪気を祓い「功」を願う想いを託し、七夕の飾りといたしました。
短冊の結びは京都祇園祭の山車に施される代表的な結びで、疫病退散を祈願したものです。

9月9日 重陽ちょうようの節供「菊の被綿きせわた」/ 結び:八重菊やえぎく結び・裏菊うらぎく結び〕

 菊の花で邪気を祓い長寿を祈る重陽の節供は中国から伝えられましたが、「菊の被綿きせわた」は中国の文献にはなく、日本独自の行事と言われます。前日に菊の花を真綿で覆い一晩おいて菊の香とエキスを綿に移します。翌九日の朝に菊の露を含んだ真綿で顔や体を拭うと若さが保たれるといわれ、不老長寿を願う行事となりました。中国から伝わる「菊慈童きくじどう」の故事から菊の露の効能が伝えられ、もともと薬として渡ってきた菊が好まれて考えられた行事だと思われます。
 それぞれ三輪づつ、白菊には黄綿、赤菊には白綿、黄菊には赤綿、計九輪の菊に綿を着せその上に子綿を着せるとあります。菊の結びは16弁の裏菊結びと24弁に増やした八重菊結びを併せています。真綿は染織家の親類が一緒に染めてくれて、優しい色合いの綿に染まりました。

日蔭蔓卯杖ひかげのかずらうづえ飾り

 日蔭蔓ひかげのかずらは常緑多年生のシダ植物で別名カミダスキと呼ばれます。地表を這うつる状の茎は2メートルに達する長さを持ち、古代の人々はこのような植物の旺盛な生命力をわが身に移そうと身に纏い、蔓など特定の植物に宿る神秘の力を感じていました。日蔭の蔓をお正月に飾る風習は関西地方に残っているようです。
 卯杖うづえとは正月最初の卯の日に邪気を祓う具として天皇に献上されたもので、桃の木で杖を作る中国の剛卯ごうぼうが起源と言われます。日蔭蔓は桃の木で作った卯杖に結び付けてあります。本来卯杖には赤い実のついた山橘を長寿の象徴として添えますが、新たな年への祈りを紅白の結びに托して卯杖の飾りとしました。

写真:大友洋祐