季節の移りかわりを身近に感じながら日々を平穏に過ごしていただけるようにと、月ごとの年中行事を「結び」で表現したお守りです。このお守りは神職の方々が一つ一つ結び、お祓いをしています。折形デザイン研究所監修のもと、結びのデザインと神職の方々へ結び方の指導をさせて頂きました。月々50体限定で毎月25日に次の月のお守りが頒布されます。折形礼法に添ったとても美しい和紙で包まれています。結びはその月の行事や季節感とそれぞれの結びがもつ背景や象徴するものを合わせ、できるだけシンプルなデザインを心がけました。

1月 新玉の結び / つゆ結び・あわび結び・四つ手あわび結び・四つ菱結び・つゆ結び


新年の意を持つ「新玉」。年の初めを祝う結びとして慶事に使われる「あわび結び」とあわび結びと同系の結びを選びました。あわびは長寿の妙薬といわれ「あわび結び」は祝い事に用いられてきましたが、福山藩の阿部家伝には「あわび結び」の別名として「菱結び」が見られます。結びの中央が菱形になるところがこれらの結びに共通する形です。
川越氷川神社の社紋(神紋)は「雲菱」。吉兆を表わす瑞雲を菱形に整えたものといわれます。
「あわび結び」から「四つ菱結び」へと菱形の結び目を連ね新年を寿ぐ「新玉の結び」といたしました。
2月 節分の結び / 古代結び・総角繋ぎ・ 鬼頭結び・つゆ結び


節分は宮中行事で悪鬼を追い払う「追儺」という行事に由来します。追儺では黄金の四つ目の仮面をつけた方相氏が盾を矛で打ち鳴らしつつ目に見えない悪鬼を払って歩きます。一方豆まきは豆打とも言われ、穀物に宿る穀霊の神秘的な力で除災招福する行事で、神社や寺院、一般家庭で節分の夜に行われました。節分はこの二つの行事が結び付けられもので追儺と称することもあります。
中国殷時代の甲骨文字では面をかけて跪く人に憑依する祖先の霊を「鬼」の字で表しました。殷の社会は「鬼を尚ぶ」という観念を持っていたと言われます。面にあたる部分は「田」の形をしています。
悪鬼を払う方相氏の四つ目の仮面と、鬼の文字で面を表す「田」の部分を総角結びの応用、「総角繋ぎ結び」で表し、その下には「鬼頭結び」と呼ばれる小さな結びを施して「節分の結び」といたしました。
3月 上巳の結び / 女結び・あわび結び・総角結び・女結び・あわび結び・女むすび


陰暦3月最初の己の日に行われた上巳の節供は中国における水辺の禊が起源といわれます。雛人形をかざってお祝いするようになったのは江戸時代半ばを過ぎてからの事で、文化・文政年間には京都に倣い江戸でも3月3日に雛人形をかざる雛祭りが隆盛となります。その後上巳の節供は女の子の幸福を願う桃の節供として親しまれてきました。
まもり結びに多く使われている「つゆ結び」は別名「男結び」といわれますが、同じ結び方で紐の交叉を逆にし、左右対称に結んだものは「女むすび」といわれ使い分けられています。そこで今回は桃の花をイメージしたピンク色の紐で「女むすび」と「あわび結び」を交互に結び、中心の結びは雛飾りに欠かせない雪洞の形に象って「上巳の結び」といたしました。
4月 柿本人麻呂祭の結び / つゆ結び・四つ手あわび結びの応用・叶結び・つゆ結び


川越氷川神社の境内末社の一つに柿本人麻呂神社があります。人麻呂忌にあたる四月十八日には例祭が斎行されることから4月の結びはこの行事にちなんだものとなりました。人麻呂-万葉歌人-和歌の名手-曲水の宴-水辺、と連想ゲームのように思いを巡らします。上流から流される杯が前を通り過ぎぬうちに詩歌を詠じ、杯をとり上げ酒を飲みさらに下流に流すという曲水の宴。歌の力を試されるこの知的な遊びと後世に歌聖と称された人麻呂が重なり水の流れを表す結びにしたいと思いました。途中に少し変化が欲しく、叶結びを石に見立てて左右に分けられる水の流れを作り、結びも上から下へと流れるように続けて「柿本人麻呂祭りの結び」といたしました。
5月 端午の結び / つゆ結び・総角結び・正倉院御物の結び・三連総角結び・正倉院御物の結び・総角結び


端午とは月の端の午の日を意味します。奈良時代、5月5日に邪気を祓う行事が中国から伝わり平安時代には菖蒲や蓬などの薬草を玉にして五色の紐を長く垂らした薬玉で邪気を祓いました。鎌倉時代になると「菖蒲」が「尚武」 (武を尚ぶ)に通じるという縁起のため武士の間に広まります。江戸時代には男子の健康と出世を祈って家紋を染めた幟や吹き流しを路上に揚げ、家の中には兜をはじめ武者人形を飾るという男の子のお節供の形が整います。
紐は菖蒲の花の色、結びは武具に付けられる人形の「総角結び」とし、男の子の誕生と成長を祝い掲げられた幟の形をイメージして「端午の結び」といたしました。
6月 夏越の結び / 古代結び・四つ手あわび結び・つゆ結び・袈裟結び・つゆ結び


「六月祓」は「夏越の祓」とも言い、各地の神社では半年間の心身の穢れを払う茅の輪くぐりの神事が行われます。茅の輪は茅がやを太く束ねて直径二メートルもある大きな輪を作り結んだもので、神社に参拝する人はこの輪を3回くぐれば災厄を免れると言われます。
室町時代には書院の柱飾りに訶梨勒という香袋が用いられました。古くは邪気を祓うと言われた訶梨勒の結びが古い文献「花結びの種々」に描かれています。お香の入った袋には輪の形に結ばれた「袈裟結び」とあわび結びの変化したものが赤い紐で結ばれています。ここでは生命力を表す緑色の紐を使い、輪の形に結ばれた「袈裟結び」を茅の輪に見立てて半年間の穢れを祓い息災を願う「夏越の結び」といたしました。
7月 天王さまの結び / つゆ結び・総角結び・八坂紋の結び・つゆ結び


川越氷川神社境内に鎮座する八坂神社の例大祭は「天王さま」と呼ばれ親しまれています。
京都の八坂神社の神紋は「五瓜に唐花紋」でキュウリの輪切りに似た形をしています。この神紋を模した結びは「八坂紋の結び」と呼ばれています。この「八坂紋の結び」と「あげまき結び」の組み合わせはとても美しく、八坂神社に置かれている三基のお神輿の正面にも朱の紐で結ばれています。
山鉾や山車の角房、そして街中に下げられた提灯にもこの結びが多く見られ、京都祇園祭を象徴する結びとも言えます。八坂神社ゆかりの行事に際し、京都八坂神社の神紋を模した「八坂紋の結び」と、祇園祭で多用される「あげまき結び」を組み合わせて「天王さまの結び」といたしました。
8月 七夕の結び / 機結び(五行結び)・琴袋の蝶結び・叶結び


川越氷川神社では八月七日(旧暦の七月七日)に七夕まつりを行います。七夕は日本に古来から伝わる棚機津女の行事に中国の唐から伝わった民間伝説「牽牛と織女」、糸に針を通して裁縫の上達を祈る宮廷儀式「乞功奠」の行事が習合したもので多くの要素を含んでいます。平安時代の宮廷儀式を詳述した「江家次第」には七夕の室礼として朱塗りの高机に海の幸と山の幸、琴と琵琶、五色の布と糸の記述があります。
琴・琵琶・笛・ひちりきなどを入れる袋の留めには結びが使われていました。武家故実家、伊勢貞丈の包結図説には琴袋の絵が描かれ「蝶結 琴袋に付ける」とあり、その結び方の手順が詳しく描かれています。この琴袋に付けられた「蝶結び」を中心に、上には機織りで糸をつなぐ時に使う「機結び(別名五行結び)」を、下には「叶」という字を結びの表裏で表した「叶結び」を結び、七夕の願いを託す「七夕の結び」といたしました。
9月 重陽の結び / つゆ結び・八重菊結び・菊綴じ結び(別名:八の字結び)


菊に長寿を祈る重陽の節供は別名「菊の節供」といわれます。古代より菊の花には不良長寿の信仰がありました。また花弁が多い事は繁栄を表し、整然とした花びらは気品があると公家の間で好まれました。源平盛衰記には「花結び」という言葉が出てきます。花結びは平安時代、女子の教養の一つでした。植物に宿る生命力を結びに封じ込め、身に付けることで生命の衰えを防ぐという願いが込められていたと言われます。(額田巌「日本の結び」)
装束にも結びは多用されますがその一つに「菊綴じ」があります。本来は装束の綻びを防ぐためのもので糸をくくって菊花のように丸く広げたものが付けられていました。室町時代から組紐で「八の字結び」に結んだものに代わりますが、装束の「菊綴じ」に使われたことから日本では「菊綴じ結び」の名が残っています。菊の節供には菊づくしで、と菊花を表す「八重菊結び」と菊の名をもつ「菊綴じ結び」を連ねて「重陽の結び」といたしました。
10月 川越氷川祭の結び / つゆ結び(別名:いぼ結び=結い穂結び)・総角結びの応用・叶結び


川越まつりへと発展していった川越氷川神社例大祭は一年を通じてもっとも大きなお祭りです。神社の創建は六世紀と大変古く、かつて川越氷川神社の秋の祭礼には田楽や相撲などが奉納されたと言われます。川越城主松平伊豆守信綱が川越氷川神社に神輿や獅子頭、太鼓などを寄進したことから川越まつりが執り行われるようになりました。
収穫の季節でもある10月はその年の新穀の初穂をまず神々に捧げる神嘗祭が執り行われ、その後に収穫祝いの祭りが続きます。川越氷川神社の秋の例祭で古くは相撲の奉納が行われていたこと、また収穫を祝う祭が盛んに行われる季節であることから稲穂色の紐で相撲の軍配の形を表し、中心に「稲穂結び」を施して「川越氷川祭の結び」といたしました。
11月 新嘗祭の結び / つゆ結び・総角結び・にな結び


現在11月23日に行われている新嘗祭は稲の収穫と次の年の豊作を祈念する祭りで、天皇が新穀を神々に供え自らも食しました。その翌日は直会として豊明節会が開かれ五節舞が奉納されます。冠の左右に白い紐で結ばれた日蔭蔓を優雅に垂らした4人の舞姫による五節舞は盛大に披露されました。
この白い紐の結びは「日蔭蔓白糸結び」と呼ばれ「あげまき結び」と「にな結び」が交互に結ばれています。一見すると稲穂にも似た「にな結び」は檜扇にも結ばれており、「あげまき結び」は美しい房をつけて御簾に掛けられました。宮中祭祀である新嘗祭を象徴する結びとして「日蔭蔓白糸結び」に使われたこれら二つの結びを連ねて「新嘗祭の結び」といたしました。
12月 冬至の結び / つゆ結び・十全結び・総角結び


冬至は一年のうちでもっとも昼が短い日で、この日を境に日が延び始めることから太陽の復活を願う冬至祭や火炊きの祭りが行われます。冬という季節は天文学では冬至から春分前日までをいいます。「ふゆ」は「ふえる」「ふやす」を表す古代語の生き残りで、古代人は冬の期間にお籠りをして霊を増やすための儀礼を行っていた、だからその季節の名称は冬(ふゆ)なのである、と民俗学者の折口信夫は考えました。(「古代から来た未来人」中沢新一)
闇から光へとうつろう冬に、精霊の増殖と霊力の蓄えが行われたという古代人的な思考は今なお各地の祭りの中に息づいているように感じています。
あわび結びを四方につなげていく動きは増殖する精霊を、いくつもの結びが美しく整えられた「十全結び」は霊力の蓄えを表し、冬至祭がキリスト教と習合してクリスマスになったことから十字架の形を模した「あげまき結び」を施して「冬至の結び」といたしました。
写真:大友洋祐